2009年9月17日木曜日

プラハの春



                   プラハの春
中欧の旅が増えてきている。チェコ・オーストリア・ハンガリー・を巡るのが通常だが、キャッチコピーを一言でまとめれば次のコピーであろうか!!
『チェコのプラハが醸す古さと情緒・オーストリアのウイーンが誇る音楽とハプスブルク王家の華やかさ・ハンガリーのブダペストの夜景とジプシー音楽。』音楽好きや歴史好きにはたまらない。ここが増えているのも分かるような気がする。
今回はチェコのプラハを見てみよう。
ユネスコの文化遺産の中でも町そのものが文化遺産の指定を受けている町はフローレンスを始めヨーロッパには数多くあるが、多くの中世映画の撮影にプラハが良く使われていることを見てもこの町の特殊性が良く分かろうというもの。映画好きでなくてもモーツアルトを描いた「アマデウス」あたりはご存知であろう。
 この監督がチェコ出身のハリウッド監督ということを差し引いてもあの映画のほとんどがこの町の旧市街を使って撮られた。この町がそれほど中世のまま残されている証拠である。
 古い町ということではイタリアの諸都市を除けば北ヨーロッパではここが筆頭であろうか。それゆえ「古さと情緒」というコピーがご理解いただけたであろう。現代映画でもT-クルーズの「ミッションインポシブル1」でカレル橋の周りが印象的に出ているので次にTVで見るときは注意して見て欲しい。

今年はベルリンの壁が崩れて20年記念ということで68年と89年のチェコの民主化の舞台としてよくTVに出ていたバーツラフ広場という所を紹介したい。プラハの春の舞台である。
 歴史を知らない人の為に少しレクチャーするが、この広場は68年ドプチェクたち共産党首脳部の民主化宣言に驚喜したプラハ市民をソビエトの戦車が潰した場所であり、89年はベルリンの壁の崩れに伴い、再びドプチェクや初代大統領ハベル・体操の名花チャスラバスカ選手達がこの広場に集まって来た市民に自由化を宣言したところである。特に89年の革命は一人の血も流さなかったのでビロード革命と言われ世界中の文化人達に賞賛された。
 
広場といっても何十万もの人たちが集まれるほどの大きな通りである。旧市街の中心から10分程の所ゆえ、プラハ観光の自由時間には是非足を伸ばして欲しい所である。近くにミーシャの美術館もあるので見終わったら足を伸ばすのも一興であろう。

この広場の端・国立歴史博物館の重々しい建物の近くに胸を打つ記念碑があるので探して欲しい。それは68年の民主化弾圧に抗議して死んだ2人の若者のお墓である。ソビエトの戦車に潰されたのを悲観した2人の青年がソビエトに抗議して焼身自殺したのを記念したお墓である。2人のヤンという名の20歳前後の若者の名前がプレートとして貼ってある。

この2人の死の意味を忘れまいというチェコ人の決意がこの墓に表れている。秘密警察でがんじがらめになっていた国家をじかに見た私にとっては共産主義国家が滅びるのは絶対にありえないだろうと思っていたのでこの若者2人の気持ちが痛いほど分かるのである。

 気になっていることがあったので、この墓の近くを通りかけた2人の若い警官に聞いてみた。「89年の自由化宣言の時にドプチェク達などの自由化の旗手たちが集まって来た民衆に手を振ったテラスはどのビルだ」と聞いたら、「うん、その名(ドプチェク)は聞いたことがある。でもどのビルだか分からない。」仕方なくその辺を通る年寄りに聞いてみたが、皆英語は分からず足早に去ってしまったので、どのビルかは分からずじまいであった。
共産主義独裁が壊れるという事は確かに大事件ではあったが、私にとっては暗闇の中で驚喜した民衆に手を振っていた自由化の旗手達のあの笑顔がいつまでも忘れられない。

「自由化の旗手達よ、名前も過去になりにけり」か。自分が歳をとったのを感じた2009年の秋でした。

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