2009年10月1日木曜日

 自由主義革命と旧共産圏の国境今昔

89年ベルリンの壁の崩壊後の旧共産圏諸国の自由化への移行は劇的だった。ソビエトの力が衰えるやいなやこぞって自由主義圏にナダレを打ったように鞍替えした東欧諸国に日本のマスコミや左翼系の学者は目を回していた。
自由のない世界がどれほど息の詰まる世界かということを肌で感じさせてくれた革命であった。秘密警察による恐怖とその恐怖の元になっていた密告制度が、どれほど人間性を壊していたかを私も旧共産圏を旅して経験していたので自由主義化がどれほど嬉しいか想像できる。
 ソ連のKGBや東ドイツのシュタージュなどの秘密警察が人々を恐怖させたかは経験した人でないと分からないであろう。ナチスのような過去の一党独裁の政権をまじかに見ていた西欧諸国は、独裁政権と秘密警察(ゲシュタポ)は切り離せないと2次大戦で学んだようだ。

それゆえNATO側としては少しでも東欧諸国をソビエトから引き離すチャンスとしてあらゆる努力をした。その一番大きな政治指導として自由化後には東欧諸国をEUに入れるという冒険を行った。ソビエトの台所事情がガタガタしていた弱みに付け込んでワルシャワ条約機構からの引き離しに成功した。

具体的に西欧諸国が行った事は自ら金を出して貧しい東欧諸国への経済援助を行う。
まずEUに入れると決めたとたんにEUのブルッセル本部は西欧と東欧を結ぶ道を整備するための金を出す。もっともこれらの金は西欧諸国の税金ではあるが。
 EUに入ると決まるとすぐに物資が自由に往来出来るようにと道路のインフラ整備から始めた。東欧へ向かう道路整備などは一番最初に添乗員が気付いた部分であった。それと同時に人件費の安い東欧へ西欧のメーカや資本が次々と入っていき、徐々に東欧の経済を西欧に近づけつつある。

本題の国境の話であるが、添乗員にとっては国境の行き来が一番分かり易く肌で感じる部分である。旧共産圏に行くと一番厄介だったのが国の出入りと入った後の貧しさであったが、革命前はその出入国に時間がかかって皆うんざりであったのに、それが日々劇的に変っていくのが実感されて歴史を感じさせてくれた部分であった。
 EU加入後も当初は旧共産圏側の出入りにパスポート検査があったが、それもあっという間に無くなり今では素通り状態である。気を付けていないと何処が国境か分からないくらい簡素になってしまった。
 EUという一つの国になり国境の壁が次々と取り払われるのはこんなにも便利なものかと感じるのは旅行客だけであろうか。こんな時にこそEUの結束を実感できる。国境ばかりでなく、通貨も経済状態の向上に伴い順次ユーロに変っていき、豊かさを実感できるように成った。

EUの概念を最初に唱えた日本人のハーフであるリヒャルト・クーゼンホーフ・カレルギー氏も草葉の陰で微笑んでいることであろう。自由の騎士、最高の文化人ともてはやされた彼もナチスヒットラーの弾圧でアメリカまで逃げたが、途中カサブランカまで逃げた時に、ひと悶着あったことを1942年にハリウッドが映画にしたのがかの名作「カサブランカ」です。そんな事を知っていてこの映画を見ると感慨深いものがある。
 きっと主演女優のイングリット・バーグマンの美しさにびっくりすること請け合いですが。貸しビデオ屋にあったら見て損はない映画です。

そこで一句  「EUを作った人はカレルギー、あたしゃは左翼のアレルギー」
なんかあちこちがかゆくなりました?