2011年4月19日火曜日

「プラハの春」事件

前から気になっていた「プラハの春」事件でソビエトに抗議して焼身自殺した若者2人の墓参りに行ってきた。
「プラハの春」などといっても今の若者達には全く分からない人が多いので少し解説する。

1968年まだ米ソ冷戦の真っ只中、共産主義陣営のチェコスロバキアがソ連に反旗を翻し、人間の顔をした社会主義、つまり自由を求めて国民が立ち上がったが、ソビエト軍の戦車によってつぶされた。首都のプラハに入った戦車とソビエト軍の姿が世界中のマスコミに配信され、日本では時の進歩的文化人といわれた左翼系の学者やマスコミ人達を驚かせた衝撃的な事件でした。
翌年プラハの学生二人がソ連軍に抗議して戦車の前でガソリンをかけ焼身自殺を図った。自由に手が届く寸前だったので絶望して自殺という形でソ連軍に抗議した。
戦車の大砲の前で裸の胸を突き出して「打つなら私の胸を打て」と抗議した若者達の姿に全世界が胸を痛めた。 (左の写真は2人の墓、右は墓とバーツラフ広場)

時代を振り返ってみると、1945年の戦後から自由主義陣営と共産主義陣営の東西の冷戦が始まり、最初にハンガリーが1956年ソ連に反旗を翻し「ハンガリー動乱」、68年この「プラハの春」事件、80年ワレサ達に率いられた「ポーランドの民主化運動」そして89年のベルリンの壁の崩壊から東欧、中欧が自由化し、2年後92年に本家のソ連も崩壊して半世紀にわたる東西の冷戦は終わった。

このチェコの「プラハの春」事件は私にとり大学生になりたての多感な時代であり、初めて政治問題に目覚めたという事で特別な思い入れがあった。、それゆえ焼身自殺したこの若者2人の墓は前から気になっていたのだ。
この墓はプラハの中心部から歩いて10分~15分でいけるバーツラフ広場という場所なので時間があれば訪れて欲しい所。墓の横に2人の写真があり感動するのは間違いない。
このバーツラフ広場は89年のベルリンの壁崩壊後すぐにチェコ市民が再び自由を求めて革命を起こした場所でもある(ビロード革命)。この広場の建物の上から何十万という民衆に向かって初代の大統領になるハベルや、戦車に踏みにじられた時メキシコオリンピックでソ連の選手を負かした体操の選手「チャスラフスカ」などと言う自由の旗手たちが手を振り民衆を鼓舞した広場である。

私といえば共産主義国家を旅するまで自由のありがたみなど気にもせず、それが如何に素晴らしいものかを知ろうともしなかった。私はそれを旅行中に 肌で知ることができたが、机上での論理しか学ばない左翼学者やマスコミの有識者とやらがソビエトの中味を見たらどうであったろうか。マルクスやレーニンも「人間とは・欲望や嫉妬を持つ厄介な生き物」だともっと深く人間を見つめたら「資本論」も違った形になったであろう。
フランス革命から生まれた自由・平等・博愛は独裁者が出る度に踏みにじられて来たが、欧州は共産主義という独裁者を肌で体験しているゆえ、国民も政治家も独裁者には特別神経を尖らせているような気がする。平等という甘い言葉に酔っている若者達が少しでもこのエッセイで目が覚めてくれることを祈ってこれを閉じよう

硬く重いエッセイにも関わらず、ここまで読んでくれた貴方に感謝して一句。
「君の碑を 見あげるたびに 諭される 自由とは これほどまでに 高貴なり」
今日の落ちは少し硬すぎてごめん