2010年8月31日火曜日

ウイーン王宮の宝物館

この頃日本でもハプスブルグという名前をよく聞く。上野の美術館での特別展、宝塚の舞台での演目「エリザベート」等でその名をよく聞くせいか、ウイーンの観光も昔と違いお客様の反応が早い。今日はウイーンのツアーで午後フリーになるお客様へのInfoの1つとして、この頃人気の宝物館の案内。

ウイーンで半日フリーがあると、ウイーンの森へのバスツアー、絵画好きは美術館めぐり、音楽好きはオペラ座見学、モーツアルトハウスの観光などが一般的に人気だが、ウイーン2回目の人や、歴史好きの人などには本宮殿内の(ホフブルグ)のシシー博物館、ウイーン少年合唱団、スペイン乗馬学校、宝物館などをお勧めしたい。
注1:シシーとはオーストリア帝国のフランツ・ヨーゼフ皇帝の后妃エリザベートの事。2人は明治天皇とほぼ同時代。シシーは皇帝の母との折り合いが悪かったせいか、ご主人が堅物だったせいかは分からぬが、早くからウイーンの宮廷を飛び出し、領地のハンガリーやチョコ・北イタリア・バルカン諸国などを旅する事が多くなる。最後はスイスのジュネーブでアナーキストに暗殺された。絶世の美女として今でも人気の后妃」
「注2:シシーの長男が自殺し、甥が後を継ぐがサラエボで殺され、それが引き金で第一次大戦が始まり、その敗戦でハプスブルグ家は崩壊する

さて今日は女性に人気の宝物館の魅力をたっぷりと
。St・ペテルブルグのエルミタージュやモスクワの宝物館、ロンドン塔にあるイギリス王家の財宝をイメージしてもらっては困る。つまりそこまで金銀財宝で埋め尽くされているわけではない。宝石もあるが、それ以外の宝物も多いのです。ロシアのロマノフ王家のように全員が殺され財宝がそっくり残ったわけでもないし、またイギリスのように今でも使われているわけでもないので派手さに欠ける。

ハプスブルグ家はロシアのロマノフ王朝と違い第一次対戦で王家が崩壊しても一族は個人的な財宝を3台の馬車に詰め込んでスイスへ亡命した。残った財宝は主に公的に利用された物ばかりで彼らは手を付けられなかった。つまり中世ハプスブルグ家が世襲にした神聖ローマ帝国・皇帝だが(ヨーロッパの王の中の王)、その戴冠式の公式行事に使う財宝やそれに付随して使われた宗教儀式などの財宝が中心で、いかにハプスブルグ家といえども公的な物として持ち出せなかったようだ。
「注:16c位から神聖ローマ帝国皇帝もハプスブルグ家の世襲になって行くが、形式的ではあってもフランクフルトで王や大司教達の選挙で選ばれたのです。

そうは行っても中世から近代に掛けての名家中の名家ハプスブルグ家です。ウイーンを首都に神聖ローマ帝国の皇帝の位を世襲にした王家ゆえ宝物もハンパではない。
入場チケットを買えば日本語のイヤホーンガイドが無料で付いてくるが、紹介しているのは10点ほどしかなく、その説明も難しい。またガイドツアーもないので解説を少々。
●最初は神聖ローマ帝国の戴冠式に使った冠。10世紀後半最初の神聖ローマ帝国の皇帝オットー大帝(ザクセン出身)以降の皇帝がが使ったといわれた王冠・剣・王珠・十字架の4点セットと戴冠式に使うマント (右写真)

「注:神聖ローマ帝国とはフランスの東部、ドイツ、オランダ(16世紀には独立が始まる)、ベルギー、スイス(13世紀には独立が始まる)、北イタリア、中欧、東欧、バルカン半島の北半分とスペインを結婚で飲み込んだ時には新大陸までも領土を広げたドイツ系を中心にした世界帝国
●12世紀のルドルフ2世の冠。ハプスブルグ家内で使われた冠。長く続いた神聖ローマ帝国が200年前ナポレオンに征服され、神聖ローマ帝国は崩壊。以後はオーストリア・ハンガリー帝国と名前を変え、それ以降の皇帝が戴冠式に使った帝冠 ・王杓・王珠の3点セット
「注:オーストリア・ハンガリー帝国の領土:ほぼ神聖ローマ帝国と同じ領土の大帝国だが、ドイツへの支配力はなく、スイス、オランダは早くに独立し、バルカンの半分と東欧の一部はトルコに取られ、スペイン(新大陸を含む)とウイーンは結婚を繰り返すが、近親結婚の弊害で17c後半にはスペインのハプスブルグ家は途絶える

● カール大帝の想像図:デューラー作(16世紀) 
カール大帝とはローマ帝国崩壊後8世紀の後半、キリスト教を取り入れ西欧を最初にまとめたフランク王国の皇帝
「注:中世の皇帝とはローマ法王から冠を貰う事が出来た王様の事。カール大帝が最初。彼の孫の代、フランク王国は分裂。ゲルマン語圏ではザクセンから出たオットー大帝が10世紀に神聖ローマ帝国の皇帝を名乗る。その後皇帝はフランクフルトで王や大司教達の選挙で選ばれ、その地で戴冠式を行った
● エメラルドの器:こぶし大の大きさに圧倒。コロンビア産
● アクアマリーン:18世紀・ロシア産 492カラット

● メノウの大鉢:コンスタンチヌス大帝(4世紀)時代の物。底に天然の傷「XRISTO」の文字が浮かび上がっている神秘な鉢ゆえ、キリストの聖杯と信じられていた。

● 黄金の羊毛騎士団の首飾:ハプスブルグ家では最高勲章 皇帝が首長

● 黄金の羊毛騎士団のミサ用祭服



● ブルゴーニューの宮廷杯:15世紀ハプスブルグ家は結婚でブルゴーニュー、フランドル(オランダベルギー)を手に入れる。

● ナポレオンとその奥方マリー・ルイーズ(ナポレオンに征服された皇帝の娘)
「注:愛妻ジョセフィーヌを離婚してまで跡継ぎが欲しかったナポレオンは征服した神聖ローマ帝国の皇帝の娘マリー・ルイーズと結婚する。彼女との間には一人男の子が出来る=ナポレオン2世=結核で20代で死ぬ
●ナポレオン2世のゆりかご


ここから先は眉唾物の聖遺物
●キリスト張り付時、彼の手に打ち込まれた釘の一本が入っている聖体顕示台=復活祭などの祭りに「みこし」のように担がれるもの



●キリストの張り付時、頭にかぶせられた茨冠のトゲの一本が入っている聖体顕示台=右横



● キリストが張り付けになった時、彼を刺した槍(800年カール大帝が時の法王より貰って神聖ローマ帝国に伝わる=この槍のお陰かカール大帝は異教徒との戦いに連戦連勝。戴冠式の冠より権威があるものとして代々皇帝に伝わる)
他にもあるが、多すぎるのでこの辺で。入る前に日本語の解説書を買って入ると分かりやすいのでお勧めです。

夫婦で行くと女房殿が騒ぎ出しますよ。出る頃には女房殿の目が吊り上っていること請合い。
くれぐれもご用心あれ。  「金銀ダイヤで目がく~らくら」てか!

2010年8月13日金曜日

南ドイツにあるルードイッヒ王の3つの城

ドイツのロマンチック街道がらみのツアーは各社ともかなりの売れ筋ではないだろうか。そこで今日は夏場にお勧め・南ドイツの旅で良く行く3つの城「白鳥の城」 「リンダーホッフの城」 「ヘレンキムゼーの城」の話を少々
作った人:バイエルン国の王様ルードイッヒ2世。(この時代ドイツはまだ1つではない)
●建築時代:明治2年~18年(1869年~1886年//24歳~41歳=王の死で建築は終わる)
●王の人となり:2m近い長身・美男子。繊細・純粋・ホモ。父の若死にで18歳という若さで帝王学を学ばず王になり激動の時代に放り出された。
●時代背景:日本も明治維新という激動の時代。西欧もアメリカは南北戦争、欧州ではベルリンのプロシアがビスマルク宰相のお陰で強国になり当時の大国オーストリアやフランスに戦争を仕掛け、ドイツを1つにしようとしていた時代。
ルードイッヒ2世も最初はそれなりに政治に目を向けたようだがビスマルク戦争に引きずられてオーストリアに味方し負けてプロシアに賠償金を取られ、フランス戦ではビスマルクに引きずられ、勝ち組にはなったが国家財政の事で閣僚達から口やかましく言われ、政治が嫌になる。

それゆえ彼は自分の趣味の世界に逃避してしまう。特にワーグナーの追っかけとなり、彼のオペラに出てくる城を彼と一緒に6つまで作ろうとする(実際は3つしか作れず、それも2つは未完成)
それゆえ叔父さん一派に捕らえられて最後はミュンヘン郊外の城に幽閉され、そこで自殺している。
閣僚達にしてみれば戦争で悪化した財政の上に、城作りに湯水のごときお金を使われては国家財政が破綻というわけで、幽閉は仕方がなかった処置かも知れぬが。 実際は殺されたのではともいわれている
しかしこの城のお陰か今では南ドイツのこの一帯はドイツ最大の観光スポットとなり毎日観光客で溢れている。まさに歴史の皮肉である 。それでは3つの城の詳細。

◎「白鳥の城」:ロマンチック街道の終点にそびえる街道一の名城。この城は売れ筋のロマンチック街道のツアーで必ず行くので詳細は省く。1つだけ言うならば冬場はお勧めしない。それは城の全景を撮る場所(マリアン橋)が閉鎖されているからである。ツアーで行くと必ずミニバスで城の後ろまで行き、マリアン橋の上から綺麗な城の全景が撮れる。


かくゆう私も30年以上も昔「週間読売」という雑誌のポカリスウェットのCMに抜擢され、この橋の上から、写真をとったのです。なんと見開き1ページです。(写真の一枚は橋の上から=まだ髪の毛が有りましたよ)


◎「リンダーホッフの城」:3つの城の中で唯一完成している城。解説書ではベルサイユのトリアノンに似せてとあるが全く似ていない。こちらの城の方がずっと綺麗で洒落ている。
●1時間に一回出る大噴水は見事:これは地形の落差を利用し、電気などは使っていない。
●室内の家具・調度品の見事さ。全てロココ風で華麗ではあるが優しく見やすい。
●王の寝室のベッドからみる窓の外の景色:そこには城の後ろ側にある人工の滝がある(右は滝の写真) 。その素晴らしさはなんともロマンチック。こればかりは行かないと分からない。



●庭に作った人工のビーナスの洞穴:中はワグナーのオペラ「タンホイザー」そのまま。 小さな船が1艘浮かんでおり、照明具合によってはカプリの「青の洞窟」になる。
まだまだ一杯あるが、あとは実際行ってお確かめ有れ。最低1日は必要です。 (左写真)




◎「ヘレンキムゼーの城」:ミュンヘンからザルツブルグへの途中にある「キムゼー湖」の島の中に有るのでこれも最低半日は必要。余裕のあるツアーでないと行けない。
● 庭と宮殿内:ベルサイユ宮殿そっくり。中はフランス・ルイ王朝の王様達の肖像画で一杯
● 鏡の間:ベルサイユそのままのコピーだが時代が明治ゆえ、こちらの方が豪華に見えるかも (右写真)
●彼の寝室:とても凝っている。昼間寝て、夜起きていた王ゆえ、夜の明かりの照明が特に凝っている=青の球体で出来た照明球。ちょっと妖しい雰囲気 (左写真)

● 浴室の壁:ギリシャ神話のニンフ達。ここで王はお気に入りの小姓達と戯れたようだ。(右写真)
城の魅力は筆ではとても語り尽くせないので何とか行って見て欲しいのだが、無理な人にはお勧めの映画がある。ルキノ・ビスコンティ監督の「ルードイッヒ神々のたそがれ」という映画。この映画の中に3つの城がよく出て来た。
私的にはエリザベート役をやったロミーシュナイダーが今一。やはりこの役は若き日のイングリッド・バーグマンあたりにやってもらいたかった。

監督のビスコンティも主役のヘルムートも本物のルードイッヒ王もみんなホモ。
まさに「ホモがホモを使ってホモの映画を作った」ゆえ、見た後はホモホモするかな!?。