2013年4月24日水曜日

久しぶりのシチリア島の旅で


シチリアというと一般の旅行客は何をすぐに連想するでしょうか?

イタリアの南の先・地中海の真ん中に浮かぶ島・マフィアの島(映画ゴッドファーザのせいか?)この位でしょうか?地図を見ると長靴の先で蹴飛ばされたような面白い格好をしている三角の島ですが。



南イタリアの現状を正確に知っている人はあまりいないでしょう。農業以外の産業はあまりなく、中央政府からの補助金を使っての公共事業で何とか息をついている感じなど、どこかの国の田舎に少し似ていますか? こんな事を知っている人はかなりのインテリ。北イタリアの人たちの中には南を分離して北だけで独立をなどという人達も多いとの事。



でもそれだけに南イタリアには田舎の良さが残っている。それが旅人には何とも言えずロマンを誘う。まずはノンビリ。まさにスローライフ・スローフーズ。現地の食材を使った美味しい食べ物(今回も皆が一番美味しかったといったアグリ・ツーリズモと言う、田舎の美味しいレストランで食べたよー!)、
人間おいしい物が一番。今回のお客様も美味しい食事で皆幸せそうな顔をしていました。
急ぐ必要はないので車はボロでも何とかなるし、テレビは映ればいいし。雨が少ないから家はボロでもいいよってか!そんな生活が南イタリアにはある。まさに「食べて歌って恋をする」てか!これぞイタリア人の真骨頂


ただ旅行客が来て一番驚くのが、意外としっかりと残っている古代のギリシャ遺跡(知っていますか、アルキメデスがいたのはギリシャではなく、このシチリアのシラクサで活躍したのですよ)や、アグリジェントにはギリシャ本土よりしっかりギリシャの神殿が残っている事を。写真はコンコルディア神殿

中世に北ヨーロッパから来た征服王朝の遺産(パレルモにあるモザイクをふんだんに使った宮殿や教会)などが我々旅行客の目を楽しませてくれる。勿論映画ゴッドファーザー最後のシーンで使われたオペラ座もちゃんとありますよ。下の写真はパレルモのモンレアーレの教会内部のモザイク



シチリアの位置を見て欲しいのだが、地中海のど真ん中にある。それ故・歴史が始まるとともに色々な人種が入れ替わり立ち代り入っては滅びを繰り返していた。



まずはフェニキア人(シリア・レバノン辺りにいたアラブ系)その中でも北アフリカ沿岸一帯にカルタゴという植民地を作ったフェニキア人は有名(ローマと死闘を繰り広げたカルタゴの猛将ハンニバルは超有名)。時を同じゅうしてギリシャ人、そして2200年ほど前からこの2つにローマ帝国が入り、3つの中でローマが勝ち残り5世紀までローマが栄え、その後はドイツ系のゲルマン・そしてギリシャ系の東ローマ帝国・次はアラブ・そしてノルマンジーのフランス系ゲルマン・あとはスペインとフランス。そして近代へと続く。何とも頭が痛くなる様な歴史を持った面白い所である。



そんな多様な文化を持った国ゆえ旅人の心にロマンを与えるのであろうか?。

写真は数あるシチリアのリゾートの中のタオルミーナの古代ギリシャ遺跡と、映画グランブルーで撮られた舞台イソラベッラ湾の「青の洞窟」を載せてみた(この2枚は新潟の佐野氏提供)。
これであなたも少しはシチリアへ行きたくなりましたか。


シチリア良いとこ一度はおいで、マフィアもあなたを待ってるよ(マフィアなんか居ないよー! 青い空、海・美味しい食事があなたを待ってまーす)




2013年2月6日水曜日

パリのノートルダム教会


いつ頃だったろうか。パリのノートル・ダム教会の近くのパーキングに観光バスが入れなくなったのは。昔パリをバスで観光した人は必ず教会の中に入った事を憶えているでしょう。残念ながら今はバスの排気ガスが教会に悪い影響を及ぼすのか、あるいは近所の住民の権利意識が強く、騒音がいやで市長選の公約に上げさせてバスを排除したのか詳しい所は不明ですが、ともかくバスが止まれなくなってしまいました。今では特別なツアーでない限り、中には入らず車窓観光だけとなってしまった。(右の写真は教会の正面)

こんな立派な文化遺跡がしかも無料で入れるのに、これを見ないで帰ってしまうのが私としては残念でならない。それ故これを見た読者はパリに行ったら是非見て欲しいのです。それで今日はこの教会を紹介したい。



一般的な知識:国教と言ってもよいフランス・カトリックの総本山ということで、歴史も古く、平清盛の時代に礎石が置かれ、150年程かけて出来上がったという由緒正しき教会である。カトリックの元締めという格式高い教会で、フランスの教会といえばこの教会といっても過言ではない。勿論総本山はローマのバチカンのお寺ではあるが。

フランス革命後ナポレオンがイギリスを除く欧州を支配した時には武力で抑えたローマの法王を呼びつけこの教会で皇帝となる戴冠式を挙行したし、またしばらくして作家ビクトルユーゴは荒れ果てたこの教会を見て「ノートルダムのせむし男」という小説を発表し世間の注目を向けさせた。そのせいか再び修復も始まり現代に至る。この教会を知らなくても小説の名前くらいは知っている方は多いでしょう。

場所:パリ発祥の地シテ島の真ん中にある。パリはキリストが生まれる少し前ローマのジュリアス・シーザーの時代にローマ化されたが、この島に原住民パリジー族が果敢に抵抗したとガリア戦記に出てくる。それゆえローマ軍も占領後この島に、まずはローマの神々の神殿を立てフォーロ等の広場を作って、ローマ軍のマニュアル通りの町作りが始まりパリは大きくなっていった。
 この島には中世も引き続きフランス王家の最初の王宮、その他重要な建物があった。ローマがキリスト教化され、それが国教になるやこの地にあったローマの神々に代わってキリスト教のお寺が建てられ、その上に今の教会が立っている。つまりこの場所にしてこの教会がある由縁である

ノートル・ダムの名前の由来:フランス語で我々のマダム、つまりキリストを生んだマリヤ様を祀った教会のこと。フランスには各地にノートル・ダムという名の教会が沢山あるので、パリのそれはノートルダム・ド・パリというのが正式な呼び名である。

建物の詳細:時代的にもゴシック建築のはしりで、高く伸ばした柱とそれをつなぐアーチ(ボールト)で教会の屋根を支え、その分薄くなった壁をぶち抜き、そこへステンドグラスを入れるというゴシックの典型的な建築物。

ゴシック教会の特徴:柱を高く伸ばすと重力が外へ倒れる力が働くので、外壁を支えるフライングバットという支え棒が目に付く。この支えは時に見づらく見えるが、N・ダム教会は逆に綺麗に見えるという珍しい教会。特にN・ダムの後ろに回り橋の上からこの教会のフライングバットを眺めて欲しい。この教会ほどバックシャンの教会は他に見当たらない。
(写真左は教会裏側 橋の上から)
外の見どころ

正面ファサード左側:自分の頭を抱えている坊さんの立彫=フランスでまだキリスト教が異端の時代、禁止されていたキリスト教をパリで始めて布教して殉教したサン・ドニ司教の立像。

*伝説では自分の首を持ってモンマルトルの丘まで行き,その場で首を洗ってから倒れたという伝説がある。ちなみにモンマルトルの丘とは殉教の丘という意味もあるらしい。

ファサード正面真中の彫刻群:「キリスト最後の審判」=左側は天国、右側は地獄

○教会の周りにあるガーゴイル像==すべて怪物の顔を持つ「雨とい」=日本のお寺にある狛犬と同じ役目で外から悪魔が入ってこないようにしている。宗教の考え方とはどこも一緒という事。

中の見どころ(写真左は外側の南のバラ窓 写真右は中からの南バラ窓)
南北西の3面を飾るばら窓のステンドグラス=なんと言っても、この素晴らしさは写真では分からない。これを見るだけでも来た価値があると思う。

祭壇後ろにあるキリストの一生を彫った彫刻群。==聖書を読んでいなくても十分に楽しめる。
ナポレオンの戴冠式の絵にも少し描いてある、ピエタ像=キリストの死体を抱きかかえるマリア像(ルイ14世が寄贈)

以上ざっとN・ダム教会の紹介をして見ましたが、ガイドブックではなかなか読みづらいところを易しく書いたつもりですが、解りづらい所があればこのブログに書き込んでください。
追記
教会建築というのは資金的な問題もあると思いますが、大体100年単位で完成するので、完成に至るまで何世代もの建築家達の手を経る物。それゆえ完成手前の時代には建築様式の流行が違うなどの理由で正面ファサードや鐘楼尖塔の左右が非対称の物が多いのに、このN・ダム教会の正面や尖塔は左右対称でとても見やすい。まさにパリの貴婦人らしくとても優雅に見えるのは私だけであろうか。

中世農民達は字が読めないので彫刻や絵などの宗教画を見ながらで坊さんに次の様に説教されたとのこと。

農民「お坊様 神様はどうしたら天国へ導いてくれるのでしょうか?」

神父「それは勿論 教会に献金する事でしょう。それ以外に天国への道はありません」

そうやって農民からお金を巻き上げて教会が太ってしまったので、フランス革命の時、貴族と教会が徹底的に破壊されたのですと。

日本でも有りました「おでいかん様、そんな税金はあんまりでごぜいますだ。それでは百姓に死ねと言う事でごぜいますか!」といって百姓一揆が起きたとさ。最後には「この紋所が目に入らぬか」でおしまいかえ。

もっと早くその紋章を出せよってか!!おっとと水戸黄門の見すぎでしたか。