2009年9月14日月曜日

ベニスのカーニバルを見て

ニースとベニスのカーニバルツアーに行く。カーニバルといえば日本人にはリオのカーニバルがすぐ思い浮ぶが、この祭りは欧州の方が老舗である。 リオの裸に近い男女の踊りながらのパレードの印象が強すぎるが、花の町ニースは花を投げあう花合戦パレード。ベニスの方は顔まで隠す仮装パレードが有名である。
 ニースもベニスも欧州らしい華やかさや祭り特有の高揚感、地元ならではの工夫があり楽しい。そもそも人はカーニバルが宗教的行事といえば驚くかも知れない。リオの裸に近い踊りが宗教的とは少し縁遠いが、暑いリオであの形になったのは場所柄であろう。

カーニバルとは4月に来る復活祭というキリスト教の宗教行事に関連した前夜祭と思ってよい。
復活祭とは字のごとくキリストが死んで復活する事を祝う祭り。彼の死んだ4月からさかのぼり40日前から彼の受難を忍んで行いを慎み、食事も肉なしの質素な物にしようという、主にカトリック教徒の禁欲行事という祭りで、復活祭につながる一連の宗教行事である。
 それゆえ禁欲が始まる前の1週間は飲んで食べて歌って陽気にやろうという趣旨の祭りがカーニバルだ。カーニバルの語源カルネとはラテン語で肉の事であり、バルとは行くとか絶つという意味ではなかったか。まさに禁欲前に思い切り肉を食べ飲み騒ぐのである。

キリスト教徒にとりイエスの死と復活は一番の関心事である。それゆえ復活祭に至るまでの祭りも派手になろうというものである。祭りの高揚感はどこでも似ているが、祭りに共通している事と言えばなんといっても無礼講であろう。それゆえ未婚の若者達にとっては正にハレ舞台であるし、既婚の者にとっても何かしら心騒ぐハレなイベントである。

一番派手そうに見えるベニスの仮面や衣装を見てみよう。貸衣装代がものすごく高い事には驚いたが、高いだけあり仮面と衣装は奇抜で派手でギョッとさせられる。しかしパレードが意外とおとなしい事に気付くだろうか。表側では見えない裏側のパーティ会場がメイン会場だからである。表側しか見えない観光客には地味な祭りに写るかも知れない。こんなからくりは、やはりベニスという国の歴史を見れば分かる。

ベニスのように貿易に国の生命線を頼っていた所では一緒に祭りを祝うはずの夫が船に乗っていて何年も帰らない事は珍しい事ではない。そんな特殊な場所では貞淑な貴婦人でも、また愛人予備軍も一年に一度くらい仮面や衣装で自分を隠し表に出て狂いたかったのかも知れぬ。
 今と違い貞操がうるさく宗教の力の強かった中世ならば恋も命がけである。そんな時代に祭りの仮面は格好の隠れ蓑の役割を果したのかも知れぬ。

ベニスのような狭い場所では人目もうるさい。そんな所では自分を隠し大いに発散するイベントが年に一度位必要だったのではと推測する。変な噂も浮名も喧騒の中でかき消される。
 船乗りの殿方達も自分があちらこちらの女性と浮名を流すのに、妻だけ縛る不合理さを感じたかも知れぬし、また自分自身、若き日に留守亭主の目を盗み年上の貴婦人と浮名を流した贖罪か?
 それゆえ妻達に1年に1度位大きく発散出きる場所と時間を与えたと思うのはうがちすぎだろうか。こんなことをいうと中世のベニスの女性や男性が全て浮気者のような印象を受けられては困るのだが。

ベニスの仮面や衣装が派手になったのはベニスが全盛期を過ぎた頃からと聞く。通常どこでも文化芸術が全盛になるのは国の絶頂期を過ぎた後、貯めた金を内向きに使い出してからである。
 そう言えばオペラもベニスから始まったというし、ツィチアン、チントレット、ベロネーゼなどの絵の巨匠、テレマン、ビバルディ以下のバロック音楽の巨匠達も17世紀、ベニスの全盛期を過ぎたバロック時代からではなかったか。

中世のベニスに思いが浮かんでふと日本の事を思った。どうやら日本も全盛期を過ぎたと言われ始めているが、ならば金を貯めるだけでなく何か世界に名を残すような芸術家達が出てくれないものであろうか。
それともまだ日本は延び盛りの国なのだろうかと祭りの喧騒の中で考えた。
 「全盛期 過ぎてもせめて 平行に」    日本経済の健闘を祈るのみである。

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