ギリシャに行ったらアテネのパルテノン神殿を真っ先に見て欲しい。誰もが大きさ美しさに感動するが、これほどの遺跡を作れたアテネの富や、大国ペルシャと互角に戦った強さの秘密にも感動して欲しい。
強さの秘密はもっぱら貿易で稼ぐ経済力とアテノの民主主義の力を挙げる歴史家が多い。
アテネ市民の自由はペルシャの独裁より強しという事であろうか
今見るパルテノン神殿は2500年ほど前マラトンで負けたペルシャ側が復讐戦と称し本格的な大軍で攻めて来た時に壊されたペルシャ戦後再建された物である。
破壊されたアテネの再建にペリクレスという有名な政治家が出てきて活躍する。中でもパルテノン神殿の再建には他のポリスへの威信のためにも国家プロジェクトとしてアテネは勢力を注ぎ込む。
それは彼の政治基盤の支持層に職を与えるためにも必要な事業であった。その時の建物が今に残るパルテノン神殿である。
このパルテノン神殿はアテネ中心部アクロポリスの丘の上に立つ神殿群の中で一番大きい。中にはアテネの守護神であるアテネ女神の像が祭られており民衆に崇拝されていた。
この建物を含む神殿群を目の前にして、すぐ感じるのは大きさと破壊の凄さである。破壊は17世紀アテネを占領していたトルコと攻めるベニス側との死闘の結果であるが、ベニス側の打った大砲がトルコ側の火薬庫として使っていたパルテノンに当りこの神殿と丘を大破したのである。
最初に目前にした私は他の人と少し違う所に感動した。つまりこれだけの物を作る当時のアテネの社会組織にいたく感動したのだ。つまり建築技術ばかりでなくそれを支える進んだ社会があった事にだ。
今に劣らない政治、経済は勿論、進んだ自然科学や哲学などが、あんな昔にあったという事にショックを受けたのだ。ソクラテスやプラトンの少し前、日本の時代ならば縄文時代の終わりの頃である。随分の差があるものだと不思議な感覚にとらわれた。
そんな社会の成熟度を示す物差しに美的センスがあるが、どの位ギリシャ人が美への追求に進んだ目を持っていたかアクロポリスに登れば納得。
丘を登りきるとパルテノン神殿の大きさと美しさが目の前にドーンと入って来る。斜め正面と横のラインが両方見えて来る神殿へのアプローチは感動的である。
大きい建物は正面から見ると平面に見え易いという事で、わざと斜め45度の角度をこちらに向けている。この角度こそ美の極致である。斜めから全体を見せるその計算されたアテネ人の英知をこの建物に見る事ができよう。
柱のエンタシスや稜線のふくらみ、空間の広がりなどは現地で実際見て欲しいのだが、今これだけの感動を与えるのなら、色も付いていたといわれるオリジナルはどんなに感動したか想像出来る。
本当に女神が神殿内にいてもおかしくはないと当時の人は思ったことであろう。
パルテノン奥の至聖所に立っていたという巨大なアテネ女神像だが、神話ではゼウス神の頭から生まれ、戦争や、英知、技術の神として当時の人にゼウス以上の信仰を集めていた女神である。
首から上は象牙、頭部の兜は純金で覆われ、建物全体より費用的には高くついたと伝わる。この像はローマの衰退と共に無くなってしまったが、女神像の縮小版コピーがアテネの考古学博物館に置いてあるのでご覧あれ。ただ余りにも人形的すぎて神とは程遠いのが残念である。
考古学が好きな人には神殿の壁面を飾っていたレリーフや彫刻群が納まっているロンドン大英博物館のエルギン・マーブルの部屋をぜひ見て欲しい。19世紀初期、当時のトルコ駐在イギリス大使エルギン公爵によってパルテノンから持って行かれた一連の彫刻群である。
ギリシャの女優で後の文化大臣になったメリナ・メリクールが晩年まで英国に返せと言い続けた事でも有名な作品である。ギリシャの遺跡も大英博物館を見て始めて分かると言う皮肉な結果になっている。
歴史好きには2500年の歴史を眺めてきたアテネ女神を思い描く事が出来よう。アレキサンダーやシーザ等の英雄にかしずかれ、ローマやベニス、トルコ人達の歴史を眺め、現在ギリシャ人の前にたたずんでいる姿である。アクロポリスの麓から聞える異教キリスト教の鐘の音に煩わされながらも力あるオリンポスの神として我々を見守っている姿である。
歴史好きな人にはギリシャ本土の旅を勧めるが、良いガイド、添乗員に恵まれなければ毎日石ころを見に行くツアーになるので無理には奨めない。
10日ほど有るならやはりアテネと南の島巡りでのんびりと『エーゲ海にそそぐの』の世界に浸るのが無難であろうか。
「ただ何もしないで、しなびたかーちゃんと海辺でじっとして居れればの話ですが」
強さの秘密はもっぱら貿易で稼ぐ経済力とアテノの民主主義の力を挙げる歴史家が多い。
アテネ市民の自由はペルシャの独裁より強しという事であろうか
今見るパルテノン神殿は2500年ほど前マラトンで負けたペルシャ側が復讐戦と称し本格的な大軍で攻めて来た時に壊されたペルシャ戦後再建された物である。
破壊されたアテネの再建にペリクレスという有名な政治家が出てきて活躍する。中でもパルテノン神殿の再建には他のポリスへの威信のためにも国家プロジェクトとしてアテネは勢力を注ぎ込む。
それは彼の政治基盤の支持層に職を与えるためにも必要な事業であった。その時の建物が今に残るパルテノン神殿である。
このパルテノン神殿はアテネ中心部アクロポリスの丘の上に立つ神殿群の中で一番大きい。中にはアテネの守護神であるアテネ女神の像が祭られており民衆に崇拝されていた。
この建物を含む神殿群を目の前にして、すぐ感じるのは大きさと破壊の凄さである。破壊は17世紀アテネを占領していたトルコと攻めるベニス側との死闘の結果であるが、ベニス側の打った大砲がトルコ側の火薬庫として使っていたパルテノンに当りこの神殿と丘を大破したのである。
最初に目前にした私は他の人と少し違う所に感動した。つまりこれだけの物を作る当時のアテネの社会組織にいたく感動したのだ。つまり建築技術ばかりでなくそれを支える進んだ社会があった事にだ。
今に劣らない政治、経済は勿論、進んだ自然科学や哲学などが、あんな昔にあったという事にショックを受けたのだ。ソクラテスやプラトンの少し前、日本の時代ならば縄文時代の終わりの頃である。随分の差があるものだと不思議な感覚にとらわれた。
そんな社会の成熟度を示す物差しに美的センスがあるが、どの位ギリシャ人が美への追求に進んだ目を持っていたかアクロポリスに登れば納得。
丘を登りきるとパルテノン神殿の大きさと美しさが目の前にドーンと入って来る。斜め正面と横のラインが両方見えて来る神殿へのアプローチは感動的である。
大きい建物は正面から見ると平面に見え易いという事で、わざと斜め45度の角度をこちらに向けている。この角度こそ美の極致である。斜めから全体を見せるその計算されたアテネ人の英知をこの建物に見る事ができよう。
柱のエンタシスや稜線のふくらみ、空間の広がりなどは現地で実際見て欲しいのだが、今これだけの感動を与えるのなら、色も付いていたといわれるオリジナルはどんなに感動したか想像出来る。
本当に女神が神殿内にいてもおかしくはないと当時の人は思ったことであろう。
パルテノン奥の至聖所に立っていたという巨大なアテネ女神像だが、神話ではゼウス神の頭から生まれ、戦争や、英知、技術の神として当時の人にゼウス以上の信仰を集めていた女神である。
首から上は象牙、頭部の兜は純金で覆われ、建物全体より費用的には高くついたと伝わる。この像はローマの衰退と共に無くなってしまったが、女神像の縮小版コピーがアテネの考古学博物館に置いてあるのでご覧あれ。ただ余りにも人形的すぎて神とは程遠いのが残念である。
考古学が好きな人には神殿の壁面を飾っていたレリーフや彫刻群が納まっているロンドン大英博物館のエルギン・マーブルの部屋をぜひ見て欲しい。19世紀初期、当時のトルコ駐在イギリス大使エルギン公爵によってパルテノンから持って行かれた一連の彫刻群である。
ギリシャの女優で後の文化大臣になったメリナ・メリクールが晩年まで英国に返せと言い続けた事でも有名な作品である。ギリシャの遺跡も大英博物館を見て始めて分かると言う皮肉な結果になっている。
歴史好きには2500年の歴史を眺めてきたアテネ女神を思い描く事が出来よう。アレキサンダーやシーザ等の英雄にかしずかれ、ローマやベニス、トルコ人達の歴史を眺め、現在ギリシャ人の前にたたずんでいる姿である。アクロポリスの麓から聞える異教キリスト教の鐘の音に煩わされながらも力あるオリンポスの神として我々を見守っている姿である。
歴史好きな人にはギリシャ本土の旅を勧めるが、良いガイド、添乗員に恵まれなければ毎日石ころを見に行くツアーになるので無理には奨めない。
10日ほど有るならやはりアテネと南の島巡りでのんびりと『エーゲ海にそそぐの』の世界に浸るのが無難であろうか。
「ただ何もしないで、しなびたかーちゃんと海辺でじっとして居れればの話ですが」
4 件のコメント:
パルテノン神殿
パルテノン神殿
平井麗奈 西端朋子
橋本環奈
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