イタリアのジェノバでコロンブスの生家を見たので、今日はコロンブスの話をしよう。1492年コロンブスがキューバ辺に到達した事は世界史が苦手な人でも少しは覚えているはず。
時代は正にルネッサンスの真中。つまり理性的なギリシャ・ローマ文化が再び蘇がえって来た時代に生きた人。「地球は丸い」とのギリシャ哲人達の説を信じ、陸路で遠回りの東へ行かずに西へ船出して直接中国のシルク、インドの香辛料、黄金のジパングを目指したベンチャーな人である。
時代は着実に進歩する科学と反比例して宗教を束る教会が相変わらず迷信で民を縛り、脅かす (地球は平たく途中で落ちるとか、免罪符とか)ばかり。
法王までが妾を持ち腐敗する時代。坊さんの言う事が段々と権威が無くなり始めた時代であった。教会の力と反比例して王や国家の力が強くなりイタリア都市国家などはその先陣を切って経済圏拡大に励む時代である。
コロンブスが生まれたジェノバはフィレンツェやベニスと同じようにイタリアの独立した貿易都市国家の一つであった。
コロンブスはベニスの組織力に後手を取らされていたジェノバ人。スポンサーが付かなかった原因は定かでないが、(転向ユダヤ人との説が有力。)ジェノバを去り、その当時大西洋、アフリカ航路では一番進んでいたポルトガルの王室に食い込み、北アフリカ横で東西に吹く偏西風の秘密を盗み出す。
そしてポルトガルに拒否された西航路プランを持って隣のスペインに下りグラナダに残るアラブ人をほぼ追い出し終えた新興国スペインの王妃イサベラ女王の元にプランを売りに行く。
有名な話が有る。スペインでも断られたコロンブスがロバで隣のフランスに向かっていると、国境近くでイサベラ女王の使者が馬で追いつき連れ戻したと。もし彼が金持ちで馬にてフランスに向えば新大陸の富はフランスの物だったとの事。
上記の話は小説や映画的ではあるが、実話を言うとスペイン王家は隣のポルトガル王家の海洋開発事業に遅れを取り、かなり焦っていたと言うのが実情のよう。イサベラはすぐこのプロジェクトに関心を示したが、グラナダでイスラム教徒を追い出すドサクサだったので彼との接触が遅れ、なかなか会えなかったのがいつのまにかそんな噂になった。
将来グラナダに行く事が有れば、グラナダの中心広場にある二人の会見の像を観てこの話を思い出して欲しい。
グラナダ攻防戦の戦費でお金を使い果し、もう金が無い女王は船の費用を捻出するのに自分の宝石を売ったとの事。色々な噂が残っているが映画でも紹介されているので詳細は省くが一つだけ紹介する。
初回の航海では3隻分の船乗りが集まらず一隻分は刑務所の死刑囚まで動員せねばならなかったとの事。そんな荒くれ男達を率いて何回も反乱寸前まで追いこまれながら成功させた彼のベンチャー心に注目し学びたい。
ただ彼もアメリカでの行政能力の無さで不遇の晩年を迎えたが人生を悔いなく激しく生きた人には違いあるまい。彼こそベンチャーの先駆けと言ってよいだろう。
それゆえ彼の名は南米のコロンビアという国の名に残り不滅に輝く。ただ彼が最後までインドの何処かと勘違したお陰でインディアンの名は残っても大陸命名の栄誉はフィレンツェ人アメリゴ(アメリカ)・ベスピッチに奪われたのは残念だったろうが。
地球が丸ければ東へ行かなくても西へ行けば、すぐそこにジパングの黄金や中国のシルク、インドの香辛料などがトルコやベニスの高い手数料、関税も払わず直接手に入る。実際に誰もが考え船出した人は数限りなかったろう。誰も帰って来なかったと言われる西への航海、日本の若者達にもそのトライに参戦させたかったと思うのは私だけであろうか。
その後の歴史を見ると覇権は蘭、仏、英、米ソと移り、今アメリカの一人勝ち。アメリカの繁栄がこのまま続くか見守りたい。あのローマ帝国でさえ滅んだのが歴史である。
昔のように武力で国力を伸ばした時代と違いこれからは知価が国家を伸ばす時代へと変貌している。小国で繁栄を誇った英、蘭、ベニスのような先例もある。小国日本もチャンスである。チャンスの時代にこそ必要な物はベンチャー心と勇気であろう。若者よコロンブスやイサベラ女王の様にベンチャー心を持って恐れず前に向ってほしい。
本日のエッセイが親の苦労を知る2代目の戯言で終われば良いのですが。 我々の息子の代(3代目)には性格は良くてもぼんくらばかりで、中国辺りにペコペコするのではと心配で成らない。
『売り家と 唐様で書く 3代目』てかー!
この川柳の意味が分かれば貴方は超一流の文化人と誇って良い。
時代は正にルネッサンスの真中。つまり理性的なギリシャ・ローマ文化が再び蘇がえって来た時代に生きた人。「地球は丸い」とのギリシャ哲人達の説を信じ、陸路で遠回りの東へ行かずに西へ船出して直接中国のシルク、インドの香辛料、黄金のジパングを目指したベンチャーな人である。
時代は着実に進歩する科学と反比例して宗教を束る教会が相変わらず迷信で民を縛り、脅かす (地球は平たく途中で落ちるとか、免罪符とか)ばかり。
法王までが妾を持ち腐敗する時代。坊さんの言う事が段々と権威が無くなり始めた時代であった。教会の力と反比例して王や国家の力が強くなりイタリア都市国家などはその先陣を切って経済圏拡大に励む時代である。
コロンブスが生まれたジェノバはフィレンツェやベニスと同じようにイタリアの独立した貿易都市国家の一つであった。
コロンブスはベニスの組織力に後手を取らされていたジェノバ人。スポンサーが付かなかった原因は定かでないが、(転向ユダヤ人との説が有力。)ジェノバを去り、その当時大西洋、アフリカ航路では一番進んでいたポルトガルの王室に食い込み、北アフリカ横で東西に吹く偏西風の秘密を盗み出す。
そしてポルトガルに拒否された西航路プランを持って隣のスペインに下りグラナダに残るアラブ人をほぼ追い出し終えた新興国スペインの王妃イサベラ女王の元にプランを売りに行く。
有名な話が有る。スペインでも断られたコロンブスがロバで隣のフランスに向かっていると、国境近くでイサベラ女王の使者が馬で追いつき連れ戻したと。もし彼が金持ちで馬にてフランスに向えば新大陸の富はフランスの物だったとの事。
上記の話は小説や映画的ではあるが、実話を言うとスペイン王家は隣のポルトガル王家の海洋開発事業に遅れを取り、かなり焦っていたと言うのが実情のよう。イサベラはすぐこのプロジェクトに関心を示したが、グラナダでイスラム教徒を追い出すドサクサだったので彼との接触が遅れ、なかなか会えなかったのがいつのまにかそんな噂になった。
将来グラナダに行く事が有れば、グラナダの中心広場にある二人の会見の像を観てこの話を思い出して欲しい。
グラナダ攻防戦の戦費でお金を使い果し、もう金が無い女王は船の費用を捻出するのに自分の宝石を売ったとの事。色々な噂が残っているが映画でも紹介されているので詳細は省くが一つだけ紹介する。
初回の航海では3隻分の船乗りが集まらず一隻分は刑務所の死刑囚まで動員せねばならなかったとの事。そんな荒くれ男達を率いて何回も反乱寸前まで追いこまれながら成功させた彼のベンチャー心に注目し学びたい。
ただ彼もアメリカでの行政能力の無さで不遇の晩年を迎えたが人生を悔いなく激しく生きた人には違いあるまい。彼こそベンチャーの先駆けと言ってよいだろう。
それゆえ彼の名は南米のコロンビアという国の名に残り不滅に輝く。ただ彼が最後までインドの何処かと勘違したお陰でインディアンの名は残っても大陸命名の栄誉はフィレンツェ人アメリゴ(アメリカ)・ベスピッチに奪われたのは残念だったろうが。
地球が丸ければ東へ行かなくても西へ行けば、すぐそこにジパングの黄金や中国のシルク、インドの香辛料などがトルコやベニスの高い手数料、関税も払わず直接手に入る。実際に誰もが考え船出した人は数限りなかったろう。誰も帰って来なかったと言われる西への航海、日本の若者達にもそのトライに参戦させたかったと思うのは私だけであろうか。
その後の歴史を見ると覇権は蘭、仏、英、米ソと移り、今アメリカの一人勝ち。アメリカの繁栄がこのまま続くか見守りたい。あのローマ帝国でさえ滅んだのが歴史である。
昔のように武力で国力を伸ばした時代と違いこれからは知価が国家を伸ばす時代へと変貌している。小国で繁栄を誇った英、蘭、ベニスのような先例もある。小国日本もチャンスである。チャンスの時代にこそ必要な物はベンチャー心と勇気であろう。若者よコロンブスやイサベラ女王の様にベンチャー心を持って恐れず前に向ってほしい。
本日のエッセイが親の苦労を知る2代目の戯言で終われば良いのですが。 我々の息子の代(3代目)には性格は良くてもぼんくらばかりで、中国辺りにペコペコするのではと心配で成らない。
『売り家と 唐様で書く 3代目』てかー!
この川柳の意味が分かれば貴方は超一流の文化人と誇って良い。
PS:写真はコロンブスとイサベラ女王
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