2011年1月12日水曜日

ポンペイの魅力

南イタリアの旅に欠かせない観光スポットといえばカプリの青の洞窟に並んで有名な「ポンペイの遺跡」の魅力を述べたい。 下手なガイド氏や添乗員によってはただの石の遺跡の1つになってしまうのが残念なのでここの魅力をたっぷりと。
まず時代背景を述べねばならない。イタリアにいた原住民と共存しながらギリシャ人がこの町を本格的に貿易港として築いたのはBC6世紀頃というから日本ではまだ縄文式時代の竪穴式住居などといった穴を掘って暮らしていた時代のこと。その後再び原住民のサムニウム人の支配などを経ながらローマ帝国の時代へと進む。現在目の前に見られる遺跡はBC3世紀から2世紀にかけてのローマ時代の物が中心だが、日本では大陸から稲が伝わる前、つまり弥生式時代前の縄文時代であったことに注目して欲しい。 つまり魅力の1つは同時代の日本の集落との比較である。

九州や登呂遺跡などの遺跡からの想像複元図を見ると(石の文化と木の文化ではかなりのハンディはあるが)その規模や文化の進み具合の差に愕然とするはず。ガイド氏が同時代の日本の文化との比較を最初に丁寧に説明してくれればそれだけでも驚きの目で見てくれるはず。 それともう1つ忘れてはならないこの遺跡の魅力は通常の発掘遺跡が自然風化した遺跡ゆえ基礎石しか残っていないのに比べ2千年前の建物や生活空間がそっくり我々の目の前に迫ってくる凄さであろうか。

BC79年の夏8月突然近くのベスビオ山が噴火してその熱い火山灰などでそっくり埋まってしまったのだ。つまり日常生活がそのまま埋まってしまったので食べかけのパンや食料品の数々・支払い途中のテーブル上の銅貨(ナポリの考古学博物館内)や、逃げながら死んで行った人間や動物の生々しい死姿が発掘されている。それゆえ考古学に興味のない人にもかなり面白く感じられる遺跡である。 注:人間や動物の死骸の肉の部分は空洞化するが、その空洞へ上から石膏を流し込み、乾いた後に掘り出すと、その時の死んだままの姿で掘り出せる。(遺跡のそこかしこに見られる) (鼻を押さえながら死んだ姿は痛ましい)










ガイド氏に寄れば人口は1万2千人~2万人少々の(この町の規模と、劇場や闘技場の収容人数から割り出している)典型的なローマ帝国時代の地方都市の1つであるとの事。火山灰で埋まる前は町のすぐ傍まで海岸線が来ており、海に流れ出す川の河口に作られた典型的なローマ時代の貿易港として繁栄を謳歌していた様子は、この噴火を生々しく描写している小プリニウスの記述からよく分かる。




(注小プリニウス:当時叔父の大プリニウスはこの地方の総督であり、住民の救出に向かい自ら火山ガスで死ぬ。彼はその様子を友への手紙で残している。詳細は塩野七生著の「ローマ人の物語」を参照 以下写真を追いながらその魅力に迫ろう。 )




ポンペイのフォロ: 中心にジュピター(ギリシャ名=ゼウス)の神殿を配し、回りを2階立ての回廊で囲む青空広場。回りにはアポロンの神殿・裁判所・ローマ皇帝等の像広場・両替商・市場・運搬業者=フォロ横にある宅急便屋 等々。(上記左の写真はフォロの広場 ・右の写真は宅急便屋の看板) 左写真はフォロへ入る前の馬車止めと石畳のメインストリート。歩道と車道が分かれている事に皆感動。 右写真はメインストリートに面した2階建ての住居(一階は店,二階は住居) 無料の上水道の水汲み場:長年の手の力で磨り減っている手すり跡は生々しい。




*裕福の家には水道パイプ(鉛の鉛管)から特別料金を払って自家へ上水道を引いていた。こんな時代に鉛管が引いてある技術に皆驚く。 (注:ローマ人は川の水を飲むと伝染病になることを知っていたらしく、上水道は山の遠くから水道橋を作り綺麗な水を町に引き、飲み水として町の広場〃で流しっ放しにしていた。それゆえ通りには絶えず水が流れておりその水により汚れ物を下水まで運び川やその先の海へ流していた。)




売春宿:「狼の遠吠え」(伊語=ルパナーレ)と呼ぶポンペイ一の人気スポット。 2階建の中へ入ると男女の色っぽいその場面を表す浮世絵風の壁画が現存している。前に浴場、隣には薬屋がある。風呂で綺麗になった後はユンケル飲んで、いざ娼婦館へか!! 今の薬局は十字架のマークが掛かっているが、古代は隣の薬屋の壁にある蛇のマークが一般的。*娼婦館は25軒発掘されている。キリスト教が入る前の世界では性欲は今よりもっと自然の摂理として捉えられていたので倫理観は今よりずっとおおらか。



男湯の浴場跡:サウナ・お湯風呂・水風呂(女性にはなかった)の3点セットが見られる。 *運動場(ローマ人は戦いに備え体を鍛える場所を風呂場の近くに用意した)・着替えルーム・温風が流れていた二重壁の様子。サウナルームで見られる「しずく避け装置」等を見られる。 (写真左は二重壁の中、右写真はしずく避けのスジの姿) 牧神の家:高校の世界史に載っているアレキサンダー大王とダリウス王との「イッソスの戦い」の床モザイクが出たところ。(今コピーが見られる) パン屋跡:現在のピザ屋と全く同じ作りのパン焼釜と小麦を引く石うす。




秘儀荘: 自家の中にワインを造る道具なども備わったポンペイ城壁外の別荘。当時上流階級の婦人達の間で流行した密教=バッカス教・入信儀式を描いたとされている「ポンペイの赤」として有名な赤色がくっきり残るフレスコ画 注:バッカス神(ギリシャ名=ディオニッソス神)酒の神として有名 (注:当時の赤色の絵の具は小さな巻貝の一種から取り出して作ったとの事)



劇場と闘技場跡:闘技場はローマのコロセッオの三分の一もない。ここまで足を伸ばすツアーはないが、この2つはローマ時代の地方都市には必ずあった娯楽施設 以上ざっとですがポンペイに行ったら見ておきたいスポットを列記しておきました。 古代ローマの遺跡の殆どは大都市の下に埋もれているので見る事が出来ないが、ここはそれが見られます。やはりイタリアに行ったら必ず見て欲しいスポットです。




「ポンペイのタイムカプセル歩けば夢ロマン  娼婦・泥棒までが 闊歩する」