2010年6月25日金曜日

ハドリアヌスの長城








今日はイギリスの北の果て、スコットランドの地に残るローマ帝国の遺跡、ハドリアヌス皇帝の作った長城のお話。万里の長城の小型版といえばお分かりであろうか。紀元後122年に工事が開始され、完成には10年かかったとの事。北海のニューカッスルからアイルッシュ海のカーライルまでの118kmにも及ぶ長城で、ローマの軍人と原住民との共同作業で作った壁である。(原住民はローマの軍隊に25年補助兵として勤務すれば、ローマ市民権をもらえた)

中国の万里の長城は明の時代に修復されたので、しっかり残っているが、ハドリアヌスの長城の壁は1500年程のあいだ放って置かれたので、壁近くの人たちが建築資材として次々に持って行ってしまった。それゆえ今見られるのは部分〃であり、それも殆どが残骸である。
オリジナルの壁の高さは4~5m、厚さ約3m、約1.5kmの間隔で監視所も設置されていたとの事。また6km間隔で要塞も建築され、要塞には500人から1000人のローマ兵が配備され、いざ敵の侵入に備えていたと推定されている。
ローマ帝国崩壊後もこの壁はイングランドとスコットランドの国境として機能し(今の国境はこの壁より少し北にある)、現在まで心理的に影響を与えた壁である。

今回のバスドライバーは新人だったらしく、いつもとは違う長城の遺跡へ連れて行かれた。とんでもない山の上であまり観光客が行かない場所である。いつもと違うので私も戸惑ってしまったが、お客様は途中のお花畑が綺麗だったためか皆楽しそうではあった。

ハドリアヌス皇帝とはローマ帝国が一番領土を広げたトライアヌス皇帝の次の皇帝であり、実際にローマの領土を自分の足で回った皇帝として有名である。北はこのスコットランド、西はスペイン~モロッコ、南はアルジェリアやエジプトの果て、南東は中近東から南ロシア、東はライン川とドナウ川に沿って、広大な領土を本当に自らの足で回り、その場所〃で帝国と蛮族との国境の警備をチェックし、具体的に壁などを作らせた皇帝として歴史に名を残す。

それまで攻勢一本やりのローマが守りに入ったというと消極的な感じを受けるが、この領土の地図を見ればこの皇帝の先見性が伺われる。足場を固めねば中から崩れるのが帝国である。歴史を知っている人なら彼の死後ローマは300年近くその繁栄を享受したことはご存知のはず。やはり彼の選択は正しかったのではないだろうか。

よほどの歴史好きの人しか行かない場所ではあるが、今回はイタリア人夫妻1組と我々のバスだけであった。ローマ帝国の子孫であるイタリア人がいたとは何か歴史の因果を感じる。

果てしなく続く壁を見ると、またオリジナルの壁を想像すると何かしら心の底から感動すること請け合い。やはりスコットランドまで足を伸ばしたら、是非見ておきたい遺跡の1つである。
現代緊迫した国境といえば中国・北朝鮮、南北朝鮮、などがすぐに連想される。そこでこんな落ちで閉めよう。
「おーい壁の向こうの将軍さんよ、経済がたがたじゃねーの。いい加減に辞めて引っこみな。今なら命だけは助かるぜー」
「馬鹿やろー!俺を誰だと思っているんだー。俺の名前は金だぜ。金~!ドルでも元でもいくらでも刷すれるのよー! それでも がたがた言えば原爆打ち込むぞ」

PS:今日の落ちが分からない人の為に:北朝鮮が偽札刷っていることを知らないと全く分からない

PS:ハドリアヌス皇帝は長い視察旅行が終わった後、ローマ近郊のチボリの地に自分の回った帝国の中から印象深い建物のコピーを作らせ晩年はそこを別荘代わりとして使ったとの事。その遺跡の一部が残っていますが、ローマからバスで1時間くらいでいけます。写真は古代の別荘の復元図


PS:地図他の写真は塩野七生の「ローマ人の物語より」

2010年6月10日木曜日

ローマらしい遺跡 パンテオン




ローマの市内観光の中では行けない観光スポットの一つにパンテオンがある。約2千年前に初代ローマ皇帝オクタビアヌスの片腕のアグリッパにより建てられ、一度火事に会ったのを同じローマ皇帝のハドリアヌスによって再建された神殿である。
観光がゆったりしていた昔は、またバスがもっとローマの中心部に入れた頃は観光でも足を踏み入れたのですが、スペイン階段あたりから20分ほど歩かざるを得ないので、旅行会社もツアーには入れない。自由時間が有れば私としては是非にでもと勧めている。行ってほしい遺跡の1つである。

ローマ遺跡は帝国が滅ぶ前後に侵入者の蛮族ゲルマン人やその後のキリスト教徒が教会を作るために壊されているので古代ローマを偲ぶ建物はこの神殿とコロッセオの2つ位しか残っていないのだが、コロッセオが三分の一しか残っていないのに比べこの神殿はほぼ完全に近い形で残っているので古代ローマを偲ぶには一番適した遺跡といってよいであろう。

ローマ観光では必ず入るバチカンのお寺にミケランジェロが設計したといわれる丸屋根があるが、その丸屋根部分をそのままそっくり地上に降ろした感じの建物と言えば想像できるでしょうか。お椀を逆さに伏せた感じの建物といった方が分かりやすいか。

パンテオンとはローマの言葉で「神々の館」という意味で、ローマで拝まれていた神々を中で一同に祭っていた神殿との事。進入してきたゲルマンの野蛮な民も中の貴重品を取り外すだけで、またキリスト教徒も壊せば自分が押しつぶされてしまうので壊すに壊せずキリスト教のお寺として使って来たのが歴史的背景である。あるいは壊すには勿体無いと感じたのであろうか、それほど凄い建物である。

地図を片手にローマのごちゃごちゃした下町を歩くと突然クーポラ型の神殿が現れる。A・AGRIPPAと刻まれた正面部分と大きな一本柱が何本も表玄関を飾っているのですぐ分かるのだが、この神殿の迫力はやはり中に入ってからであろう。

中での第一印象は2千年前によくこんな物を建てられたなというのが素朴な印象である。そして落ち着くと「ドーム型の屋根は落ちて来ないのかしらん」と心配になる。それは屋根の頂上部分がすっぽり丸く抜けて空が見えるからであるが、これは明り取りの役割をしており、雨の少ないローマでは降った雨も下に貯めて使うための装置でもある。しばらくたたずむと、その開いた丸屋根から入ってくる明かりにホッとし、次に建物の厳粛さと構造に圧倒され皆無言になるはず。何とも神を感じるローマらしい建物である。こんな所で古代ローマ人と対話するのも旅の楽しさのひとつであろう。
「機械もないのにこんな建物 どないして お前らローマ人は作ったん。えー答えてみいー」 てな具合に。

建物の中は有名人のお墓にもなっており、ローマ帝国崩壊後バラバラだったイタリアを今のイタリアの形に統一したビットリア・エマニュエル2世のお墓とルネサンスの3大巨匠のラファエロのお墓があるのでついでに見ておいて欲しい。 

「パンテオン作ったお人はアグリッパ。わたしゃ お口を アンぐリッパ!」  我ながら詰まんない落ちでした。